ロケットストーブ20のウソについて

私のブログで一番プレビュー数が多い記事が「ロケットストーブ20のウソ」です。
ロケットストーブで検索すると上位に表示された事もあり、目にされた方も多いのではないかと思います。
ただ、最後までお読みになった方は少数派でしょう。それは文章の表現が攻撃的で不愉快に思う方もいらっしゃると思うからです。
私がロケットストーブの存在を知ったのは2010年の暮でした。ロケットストーブに造詣が深い方の訪問に始まります。正に私には夢の薪ストーブであったのです。そして、高性能の薪ストーブができると直感して開発をはじめました。当時、ロケットストーブの原理を応用した鋼板製の密封型薪ストーブは販売はおろかネット上でも検索できませんでした。試行錯誤を繰り返して何度も実験しました。漠然と炎が回れば燃焼効率が良くなると思ったのです。
特許を取得するのが私のひとつの夢でもあったので、サイクロン燃焼の特許出願作業を進めました。そんな最中に東日本大震災。そして取り返しのつかない原発事故です。私は原発は多重防護され、チェルノブイリ級の事故はありえないと信じ切っていました。原発反対を訴える方たちの活動を他人事と感じ、いや、むしろ関わりたくないとか、原発で3割以上の電力を供給していた事実があったので、ならば反対する人は3割の電気を使うなと感じていて、積極的ではありませんが原発を肯定していたのです。原発の重大な事故の事実を知ると絶望感でいっぱいになりました。
正に「騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実」小出裕章 著でした。
それ以来私は価値観を変えたのです。
学んだのは真実を見分ける力を身につけることです。私のブログは文章表現に大変問題があります。最後まで読んでいただけないのは残念ですが、記述の内容は今でも殆どが事実であると自信を持っております。
事実、私より遥かに長いこと薪ストーブを製作したきた職人さんから概ね事実であると太鼓判をもらっています。

良くも悪くもその記事でロケットストーブが啓蒙され、多くの方が薪ストーブを自作したり開発販売しています。もしかしたらロケットストーブ由来の火事が防がれているかもしれません。
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サイクロン燃焼は他にもある等の指摘もございます。しかし、サイクロン燃焼の特許は特許庁により厳正に審査されました。海外の特許、及び公知の技術がないか膨大なデータから検索、確認されたのです。その意味で薪ストーブのサイクロン燃焼は世界初なのです。
ロケットストーブは
オープンシェアとのご指摘もあり、もっともなご意見です。しかし、その特許出願の中に独自な技術があれば権利として認められても良いのではないかと思います。それが認められないとすれば企業の開発意欲はなくなります。特許登録されていますので、特許に関わるサイクロン燃焼は販売目的では誰も真似することは出来ません。見かけた方は私に連絡をください(笑)

2 thoughts on “ロケットストーブ20のウソについて

  1. 鉄人アーツ 投稿者返信する

    がらを様
    コメントありがとうございます。
    ご理解をいただいているところも多いようなので励みになりました。
    一方で読者様が不愉快にならないような適切で明快な記事に努めたいと思います。

  2. がらを 投稿者返信する

    こんばんは、そしてはじめまして。
    ロケットストーブについて、波乗りしていましたら「20のウソ」の方へ繋がりました。
    とても有益な情報が満載で、その「ウソ」の多くは、いたずら半分でロケットストーブを作ったワタクシにとって、経験を通じて感じた疑問点の答え合わせのような気がします。ありがとうございます。
    切り口が、ロケットストーブだったので、ロケットストーブ否定みたいな受け取り方もできないことはないのですが、あの記事って、『屋内暖房器具の自作について留意すべきこと』なんて脳内変換しながら読むと、違った趣があるのではないかと。
    屋内の暖房器具なんて自作しようと思ったら、相当の覚悟をもって手を出すべきものですから。
    ロケットストーブの場合、入り口が手軽なだけに、やってることも手軽だと勘違いしちゃうんでしょうか?
    あと、『20のウソ』って、軽く試作して、軽くテストしただけでも、「ああ、そういうことなのか」と思うことがあると思うんですけどね。
    まったく作ったことないか、ちまたの情報を丸飲みしちゃってるってことなんでしょうか。
    ところで、鉄人アーク様の攻撃的な表現とやらについて思うところを少し。まったく斜め上の感想となりますが、時代は変わったなと思いました。その最たるものは、blogの発言に無責任を問うコメントです。1990年代なら一笑に付されるでしょう。ネットの情報を丸飲みするなんてことは考えられません。
    ネットの情報は、真贋共自己責任において精査し利用するもの…という常識はもはや過去のモノとなったようですね。
    ゆえに、真実を発信し続ける人にリスペクトが集まったものですが。それも、古い世代の感覚なのでしょうか。
    表現の性格(過激であるとか癖があるとか)は、あまり問題ではなかったと思うんですね。
    なんだか、全てに役所や大企業のような親切を求めているようなかんじですねぇ。
    長文失礼しました。

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